料理の経験と過去の自分を活かし
人の夢を叶えられる自分に
一流の料理人目指し、現実に幻滅
調理師専門学校を卒業後、調理師として働き経験を積ませていただいて参りました。大手ホテルからスタートし個人経営の店舗と渡り新規開店、レシピ開発、料理長になるまでさせていただいてました。
キャリアアップと考え新規一転移った前社では、事業統括MGRとして商品開発から新規出店、人材のマネジメントをさせていただけるまでに。
無我夢中で働き気がつけば個人事業からスタートした会社を3年で4店舗までに育てる事が出来ていました。
会社は成長をしている、仲間も増えた、この先の未来はどうなるのか?どうすべきなのか?どうありたいか?と考える中、どうしたものかなぜだか既に現場から離れている社長とビジョン、目標がすり合わない。自分は仲間を増やしたい。育てたい。お店を増やしたい。それでも社長は反応してくれない。もっと頑張れるはず、そう言い聞かせ自分を鼓舞する毎日。だけど社長は耳を傾けてくれない。とある日社長から「これくらいがちょうどいい。自分たちのやりたいイメージは体現出来ているし経営も安定している。リスクをこれ以上負いたくないかな。」と宣告。
言葉が出ませんでした。。梯子を外された感覚。
自分がやってきた事は正しくなかったのか?なんでだ?どうして?と心の中。意見を言い返す気力もなく退職が決まりました。
運命の巡り合い、傲慢な自分と向き合う
これから自分の人生どうするか。間違えたのか?正しくなかったのか?傷心の中、一番初めに頼ったのは以前同じ会社で働いていたグループ会社の市東さん。頑張ったね。苦労したね。うちに絶対必要だと思うからとすぐに代表の關さんに引き合わせてくれました。
關さんに事情を説明し、なりたい自分の目標を伝えると「僕は梯子を外しません。学んで成長し目標や夢を叶えればいい。人の役に立ってみんなが喜ぶ会社でありたいから。」と言ってくれ一瞬で惚れました。他にも面接を受けていた会社もありましたが即決。
振り返れば自分は知らず知らず傲慢で他責になり、自分だけの事を考えていたと気づきました。本気で人の役に立とうとする關さんとの出会いやGWGで学び、人の役に立つためには、まだ成長し自分自身が変わる必要があったのだと思います。
きっちり積み重ねて、得た信頼
一般社員からスタートし店舗調理や接客、半年後に店長にさせて頂き店舗管理と人材育成と店舗メインで仕事をさせていただいてました。
入社1年半後には、マネージャー兼任料理長としてメンバーのケア、マネジメント、店舗営業統括、営業管理、商品開発、調理指導、出店、採用なども含め幅広く任されています。
親父は職人!下町の悪ガキに
実家は下町の3代続いた材木梱包屋。小さい頃より自営業で働く忙しい家庭環境で育ちました。
職人さんも抱える工場でしたので食事はいつも台所、職人さん達の後でひっそり食べる。
家はいつも賑やか、人の多い環境で年少時代を過ごしました。
環境的に自然と自由奔放な生活の日々。ザ・下町職人の父といつも明るい栄養士の資格を持つ母。
今思えば忙しく大変だったのでしょう。親より近所のおじさん、家で働く職人さん達によく怒られ誉められおこづかいをもらった記憶があります。
厳しくも自由奔放な日々は10代ずっと続きました。自身の性格もあったと思いますが小さい頃よりクラスの人気者。中学生になるとお笑い芸人になりたいと思った事もあるほど。
スポーツはバスケットに夢中になり選抜選手になるまで頑張りました。しかし怪我をきっかけに気力は失せ楽しいだけを求め悪事を働く日々に。。。
父は呆れ。いつも謝りに回る母。学校にもほとんど行かず夜な夜な遊ぶ毎日。
現実を受け入れられず・・・加速した非行
そんな生活が続いていた16歳の秋。母が病気で倒れ、介護が必要な状態に。
この頃には自営の商売も経営難になっており、職人さんも高齢で引退。父はほぼ1人で工場で仕事を続けてました。母は病気で入院中。父はボロボロの作業着で夜な夜な働き、2歳離れている妹は傷心中。こんな状況で普通頑張るのかもしれませんが、僕は現実を受け入れられなく逃げました。
さらに夜遊び非行加速モード突入。ついには家に帰らなくなりました。
母の涙・・・現実に向き合い進んだ料理への道
逃げ続けた僕もふと入院中の母に会いたくなり病院に。自由には動けなくなった姿の母を見てとても申し訳なくなったのを覚えてます。迷惑かけたな。心配もかけたな。と。すると母に病院食が美味しくないのよね。と言われ、不思議と次の日には昔の母を思い出しスーパーに食材を買いに行き、初めて自分で作ったお弁当を差し入れてました。母に食べさせてみると涙を流しながら笑顔で美味しいよ。人生で一番美味しいと誉めてくれたのです。
それを機に逃げるのをやめ、向き合おう。食事で感動させることが出来るんだ。徐々に回復する母を背に人に喜んでもらう人生にしたい。料理で人を救うんだと思い料理人の道を志しました。
もう逃げない、人の役に立ち、人に喜ばれる人になる
社会ではありがたい事に人にも恵まれました。先輩や尊敬する人、目標にする人もたくさん出来ました。辛い時もありましたが人の笑顔で吹っ飛びます。
僕なりの親孝行なのかもしれません。人に喜ばれる事。人の役に立つ人生であればきっと誉めてくれると思っているのでしょう。
僕は自分に負け続け逃げ続けてきましたから。人に喜ばれる事をする。これが自分にとって逃げない方法なのかもしれません。現在でも仕事や人生のベースになっている気がします。誰かの為に。
ずっとやってきた料理も一つの方法なのかもしれないと思ってます。
料理の経験と過去の自分を活かし、人の夢を叶えられる自分に
ずっと料理を学んできて商品や業態に活かせているとは思いますが、自身実感するのは実はここではなく。人の思いや夢を受け取る時です。特にうちのメンバーはまじめな面もありますが、個性豊かな集団です(笑) 長所も強いですが、日々困っていたり悩んでいたり苦戦します。
そんな時ほど思いや夢を語り合います。メンバーをより知ろうと思い足りない所を補う感覚です。
共感。好きな言葉ですが類語に共に苦しみ感じる所から始まるエンパシーという言葉もあり、思いやり共に苦しみ乗り越えていくイメージ。メンバーがそれを乗り越え笑顔になっている時こそ僕は幸せな気持ちになります。メンバーも信頼してくれているので寄り添うマネジメントを心掛けています。
たくさんの笑顔に出逢うために、いざ出店
飲食業の価値を高め、なりたい職業ランキングで上位に!なんてことも考えてますが、食を通して人の笑顔を作れる会社の一員でありたい。
やはり調理師がベースですので安心安全を元に生活の一部、人の人生の一部でありたいと願ってます。また、飲食先輩方の歴史や技術を学びながらも食文化の1つになる商品やお店を作りたい。
Barcompanyではリーダーを育て100店舗は出店したいですね。リーダーの数だけ可能性も夢もある。
自分の夢は100人のリーダーを育成しマネジメントのプロになる事です。
人の笑顔が見たい人はぜひ
一言でいうと「人に尽くす事が出来る人」ですかね。貢献意欲と言いますか。
素直で謙虚でありたいとみんな思っていますが誰の為?と考えられる人が合ってると思います。
店舗でもお客様や一緒に働く仲間の為に全てを尽くします。
自分の為にもなるのですが、感謝された分しか幸せになれないですし人を幸せに出来ない。
人生のテーマのようですが、より良い人生にしたいと願う人。感謝し感謝されたかったらそのために尽くせる人かなと。
得意はそれぞれ違うので活かす為だったりお互いに協力し合う事を心から願えると活躍している印象です。出店も店長の数だけしか出しませんし、業態も無形。みんなで得意を活かしあい可能性を作るのが特徴だと思います。